2011年1月18日火曜日

タブーの謎を解く―食と性の文化学

タブーの謎を解く―食と性の文化学 (ちくま新書)
山内 昶
筑摩書房
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世界各地の食のタブー、性のタブーなどを通して、なぜタブーがあるのが、タブーがどのような役割を果たしているのか、そして人がタブーを作り出す理由を述べている。

原初の混沌、まだ意味未分化なものに対して、一本の線をいれることで、そのものと、それいがいのもの、私と他人、神と人、人間と動物、動物と植物などに分類することができるが、そうやって世界を分類していくとそのあいだにはそれら二つのどちらにも属さない境界線上のものがたち現れてくる。この境界線上のものは分類された世界を脅かすものとして忌避され、それがタブーになっていったというリーチの文化記号論はなるほど!と膝を打つ思いだった。

後半ではこのリーチの暗号格子を用いて世界各地のタブーに対して、どのような理由からそれらがタブーとされているのかをみていっているが、いずれも明快に説明づけられている。 興味深かったのは日本の婚礼にまつわる様々なタブーに関わる話で、花嫁が家を出るときの分離儀礼から、花嫁道中の移行儀礼、そして婚家にはいるときの統合儀礼として、伝統的に行われてきた儀礼に対して、そこにどのような意味の境界があり、なぜそのように対応されてきたのかということが明快に示されている。 今となっては結婚式の儀礼もいろいろと寂れてしまっているだろうが、それぞれの儀礼にはそのような意味があったのだというのはとても興味深い。


P127、今一つの思考実験として、この無定型で未分化で、全てのものが幽明まだ境界のない渾然と融合したカオスの中に、一本の棒を投げ込んでみよう。するとたちまち、カオスは二つに分かれるだろう。水平横軸で見ると、内/外、前/後、此岸/彼岸、私の領域/他人の領域に分割され、垂直横軸でみると上/下、天/地、神々の領域/人間の領域に分断され、縦軸でみると両側が左/右にぶんるいされる。たった一本の棒がカオスをコスモスに変換したのである。

P136、例えば世界を生物と無生物に大別したとしよう。するとそのどちらにも入らないウィルスが出現する。生物を動物と植物にさらに二分したとしよう。すると、どのどちらにもはいらないホコリカビなどの粘菌類が現れてくる。動物を取り、獣、魚というカテゴリーにさらに細分したとしよう。すると、獣なのに鳥のように空を飛ぶコウモリ、鳥なのに地を走るダチョウ、陸にも水にも棲むカエル、哺乳類なのに水に棲んで魚のように卵を産むカモノハシなど、曖昧で両義的なリーメン上の動物が出現する。そこが特別にマークされ、有徴項となり、タブー視される、というわけである。

P167、こういう諸事例からすると、結局タブーの体系は以下のようになっているらしい。まず何もかも混然とごっちゃになったカオスは、それぞれの個物に明確に分離されねばならない。こうして他から切断された個物はそれ自体としての固有性(Proprete')をもつが、そこになんの疵や欠点もない完全な場合に限って清浄(proprete')とされる。当然のことながら固有性か不完全な場合には不純で不潔とされ、他物、つまり他のカテゴリーと接触し、交錯し、混在することは不浄で、思っただけでもおぞましい出来事とされ、タブーとされるわけである。

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